李平に忠臣蔵 大野九郎兵衛の軍資金が埋められている!?


福島市の西部に李平(すももだいら)という地名がある。李平はかつて旧米沢街道の宿場町であった。


李平のはじまりは、上杉氏の家臣 阿部薩摩が17世紀初頭に居を構え人民を移して村落をつくる。地名の由来は、李が多いので李平。当時は50余戸ほど民家があり、街道の両側には旅宿や茶屋が並んでいた。

ところが、天保の大凶作で人口が激減、さらに明治初期に火事があり大半の家が焼ける、加えて万世大路ができると人の流れはこちらを通るようになってしまい、李平は街道や宿場としての役割を失い住民が流出、廃村となってしまう。



この李平には、忠臣蔵の大野九郎兵衛がひそんでいたという話がある。江戸で大石内蔵助ら赤穂藩士ら47人による吉良邸討ち入りが失敗した際に、上杉家の手厚いひ護の下にあった吉良上野介は米沢の国元に引き取られる可能性が非常に強かったので、李平村を選び潜伏していた。李平村は米沢街道の宿場で地形は道狭く少人数でも多勢に当たるには全く屈強の場所であった。

大野はじめ部下数名で潜んでいたが、元禄15年(1702)12月14日の大石内蔵助ら四十七士によって吉良邸討ち入り成功。その知らせを聞いた大野は泣いて喜び、翌年春に切腹して亡き君の跡を追った。


また、潜伏していた大野九郎兵衛に関してこんな話がある。

「吉良を討つため軍資金が埋められている」


もし本当に軍資金が埋められているのなら、どのくらいあるのか?気になるが、


数年前に山本博文の著書「「忠臣蔵」の決算書」を映画化した
「決算!忠臣蔵」が話題になった。

大石内蔵助は討ち入り決行までの潜伏期間で使用した費用すべてを帳簿に記録していたという。この帳簿に大野九郎兵衛に関する記述があれば、潜伏にどれくらい費用を渡していたか分かるのでは?と思ったが、決算!忠臣蔵の映画の作品情報には、討ち入り予算は9500万円とあった。例え李平に軍資金が残されていたとしても大した額ではないのかも?



■参考文献
・福島史跡ハイク


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